RubyKaigi は2011年で終わるのかー

今年初めて RubyKaigi (8月27-29日) に参加しました。1日目と2日目に参加しました。

そのときにつぶやきましたが、コミュニティを大事にしているイベントだと感じました。参加者同士、またスピーカー、事務局、参加者間の交流ができるような仕組みづくりが図られていました。

なぜコミュニティを大事にするイベントだと思ったか

  • 名札がはがき大で大きくて見やすい。裏オモテに書ける

これはすごくいいことだと思いました。その人が誰なのかわかりやすいし、自分もアピールできる。相手がだれだかよくわからずに話すより全然いい。小さなことだけれど、イベントの姿勢を示す大きなことだと思いました。参加者にもそれが伝わっているので、交流がしやすい。

RubyKaigi 終わるんだ

で、今日知りました。RubyKaigi は来年が最後なんですね。RubyKaigi日記をご参照ください。理由は書いてありません。

察するに、事務局(主催者)の負担が大きすぎたということではないでしょうか?

私は今回初めて参加して、名札の件だけでなくさまざまな工夫やホスピタリティに気付きました。会場、プログラム、カクテルパーティー(持ち込みと懇親会)、本のサイン会、出身地を地図にはるやつ、無料のお飲み物、ウェブサイトの充実(ブログ含む)、外国人招致にむけた英語リソースの多さ、外国人むけMLの用意、ラーメン販売、トートバッグや手ぬぐいノベルティなどなど。「気が利く」という表現がぴったりです。

浮かんだ疑問

で、次に思ったのが、この参加費(6,000円だったかな?)で大丈夫なのかな?ということでした。箱代(つくば国際会議場)だけでも相当すると思いますし。コストです。

だけど、コストはRubyKaigiが終わる理由ではないかもしれません。参加費を上げてみて、どのぐらいに参加者数に影響があるのか試してみるなど、改善の余地があるからです。

それから次に思った疑問。ボランティア運営ということなので、事務局の負担です。実情を知らないので、Twitterや、立ち話などからなんとなく受けた印象ですが、みなさん睡眠時間、体力を相当にけずってこのイベントを運営していらっしゃるんだろうな、と推測してました。

Chad Fowlerのプレゼンで

世界のRubyから、みたいなセッションに参加したときに、Chad がRubyConfの歴史を話していました。RubyConfの方は事務局が Ruby Central という NPO を作って運営しているというお話しだったと思います。

このNPOにフルタイムのスタッフがいるのかなど詳細は知りませんが、長く何かを行っていくのには必要なことなんだろうなと思いました。

日本では Sustainability が低いイベントが多い感じがします。一部のボランティアの方々の努力、献身と犠牲の上に成り立っている。欧米との違いをそこに感じます。(まあ、欧米のことをよく知っているわけでもないですが。少なくとも企業勤めの普通の人たちはサービス残業や、時間外労働なんてしない。し、それが当然なので、それを前提として Sustainability のある仕組みを作る。)

私はただでさえ、オープンソースに関わる技術者の多くは日常業務が終わってから、他の作業に取り組んだりイベントに参加するのを見て、びっくりしています。(これは日本と海外でどのように差があるのか、差はないのか、知りませんが。)
RubyKaigiの事務局は、さらにその上でイベントの準備があるわけなので、その苦労は大変なものと容易に想像がつきます。

たしかNaClの方に聞きましたが、Ruby Associationというのがあるんですね。ただ、こちらはRubyKaigiではなくて、RubyWorld Conference (来週、島根で開催) を主催する団体の一つなんですね。

RubyKaigiとRubyWorld Conference、前者がコミュニティ寄り、後者はビジネス寄りのイベントとは言え、内容が近いので、うまく共同開催のような形にできないのかなあと思いました。

と、以上、Ruby歴、超浅い、Rubyでコードを一行も書いたことのない私の勝手な感想でした。