メールとグループウェアの違い(業務引継の話など)

先日からサイボウズさんが展開されている「No-Emailワークスタイル」キャンペーンに関し、以下のようなTweetを見かけました。

メールじゃダメな点として「引き継げない」とか「経緯を追いづらい」とかいろいろ書いてあるけど、こうした際に過去のやり取りを全部読めという考えがダメなんじゃないの。メールにせよグループウェアにせよ全部読ませてたら負担は同じ。ちゃんと引継書なり報告書なりを作れば解決する話じゃんか。

この部分「メールにせよグループウェアにせよ全部読ませてたら負担は同じ。ちゃんと引継書なり報告書なりを作れば解決する話じゃんか。」に関して、その通りで、メールにせよグループウェアにせよ、引き継ぐ人はちゃんと引継書を作ってあげないといけません。

メールとグループウェアの決定的な違い

グループウェアにはメールと決定的に異なる点があります。情報が共有の場におかれているという点です。(メールにも、メーリングリストアーカイブのようなものもありますが一般的ではないです。)

情報が共有の場におかれていると、見たい人は見ることができます。調べたい人は調べることができます。たとえば引継書を読んで、「あっ、この部分もう少し詳しく知りたいな」とか、「この計画を実行した根拠はなんだったんだろうな」とか、「これを決定したときのディスカッションの内容を追ってみたいな」とか考えることががあるかと思います。

メールの場合だとそれを調べるのが大変ですが、グループウェアの場合だと比較的、容易にそれができるはずです。なので、それを行うかどうかは別として、グループウェアの方が選択肢が多いということです。

グループウェアに求められるもの

ただ、情報が共有の場におかれていても、それが取り出しやすい形で保管されていないと、せっかくの共有の効果も半減してしまいます。なので「検索機能が優れていること」はグループウェアにとって非常に重要です。それはどんなグループウェアにとっても共通だと思います。サイボウズさんのようにスケジュール管理やワークフローであろうと、うちのようにWikiやプロジェクト管理システムであろうと、です。(グループウェアに求められるものは検索機能だけではもちろんないですが、それはまた別の機会に。)

私は社内でもちろん自社製のWikiを使っていますが、入社した頃はよく "Japan" などをキーワードに社内Wikiを検索して、探索したものです。自分が入社する以前のことも分かるので便利でした。メールだけでしたらそうはいかなかったでしょう。

情報を囲い込まない

情報が人に帰属するのではなく、組織に帰属するという印象をもっています。私はJapan Businessのポータルサイトを作ってあります。そこを見れば過去からの経緯も含めて、日本市場で行ってきたこと、いま行っていること、今後行っていくこと、などがだいたい分かるようになっています。ダイナミックに出力される日本のDaily Salesレポートページや、顧客リストページなど、関連ページへのリンクも貼ってあります。万が一、私が今いなくなってもチームの誰かがフォローできるはずです。

うちは企業文化が特にオープンだからかもしれませんが、マネジメント層の経営判断のプロセスのページなんかもほとんど見られます。こんなに見られちゃっていいのかなと思うほどです。私はそれがすごく嬉しいです。戦略決定の根拠、プロセスも分かるから納得できるのです。(もっとも、閲覧制限がかかっているページは、存在自体がわからないようになっているので、実際にどれぐらいの割合のページが公開されているかは分かりませんが。)

というわけで、グループウェアWiki)の恩恵をたっぷり受けてしまっている私は、もはやコレ無しに納得の行く仕事はできません。情報が共有の場にあることにより受ける恩恵ってほんとにたくさんあるので、また別の機会にまとめて書いてみたいなと思います。